結局何がしたいのか

 今、日中情勢が揺れている。日本の歴史教科書について、中国人が抗議デモをしているのだ。それは暴力沙汰にまで発展している。
 しかし、これで結局彼らはどうしたいのだろうか? 仮にこのデモ(というか暴力)に屈して歴史教科書が改編されたとする。そうしたら、彼らはどう思うのだろう。「やった!俺らの恐ろしさにおののいて変えさせたぞ!」と満足するのだろうか? そんなことをして勝ち取ったものに彼らは価値を感じるのだろうか?
 暴力の被害を歴史を風化させないための運動なのに暴力を用いる。その矛盾に彼らは気づかないのか。気づいていても矛盾だと思わないのか。


 それで自分の意志を通すということは結局「弱肉強食」の法則を適用することだ。結局、昔日本人がやった残虐行為も「弱肉強食」の法則が成したものだ。ということは、今の中国人の行動が正当化されるのであれば、過去の日本人の残虐行為を正当化することにはなるまいか?
 日本人はかつて野蛮だった。それは中国人になしたことからも言えるだろう。だが、そんな日本は敗戦の憂き目にあった。当然の結果であろう。それから日本は大成長を果たした。略奪も侵略せずに! つまり暴力を用いずに!
 敬愛なる中国の人々よ。誇り高き中華の人たちよ。日本よりもはるか太古より、そう、悠久ともいえる偉大なる歴史を紡いできた人たちよ。今、さらなる発展を遂げようとしているあなたたちに今のデモ活動は似合わない。どうか、対話のテーブルについていただけないだろうか。