日本語と英語の境界

void GraphicWizardsLair( void ); // 日本語文の中に混在する英単語の前後に「いわゆる半角スペース」を入れるのはバッドノウハウなので、それを自覚して使う方が良い

を見て、そもそもそも英単語と日本語をぶっ続けで書かなければならないという決まりってあるの? と思った。アナログに考えれば、つまり、手書きを考えると、そんなの好きなように書くわけであって、空白を入れないことだって機械の都合なんじゃないのかと。原稿用紙だって、英単語を書き込まれることをもともと想定してないのでは? もちろん、原稿用紙への英単語の書き方ってのは私も知っているけど、もともと想定されていたとは思えんのだよね。半角とか全角とかの違いだってシステム上の都合でしょ、もともと。半角全角の起源が活版印刷の時代までさかのぼるかどうかまではわからないが、少なくともそれ以前に「えげれすの文字は、日本の字の半分の幅ナリ」なんて思ってなかっただろうし。なのでこのブログの著者は、「○○の立場から見たらバッドノウハウ」と言うべきなんじゃないだろうか。

追記

 いきなり原稿用紙の話を持ち出したのは、「空白」という考え方のそもそもは原稿用紙があってのことではないかという思いからです。原稿用紙を意識していない状態では空白なんてのは単に「離して書く」ってことであって「空白何個」なんて発想は普通はないということです。

 そして半角全角の話を持ち出したのはことさら「半角の空白」が話題になっているから。要は、全角の日本語の中に半角文字が入るから話がおかしくなるのではないかと思います。つまり、コンピュータは多国語の文章がスマートに扱えるほど成熟していないのです。

 それぞれの仕組みに則ってやること自体はバッドノウハウでもなんでもなく、たとえば「バグの回避のため」やるようなことをバッドノウハウというのではないでしょうか。「〜するべき」などといったらそもそも同じ文字を扱うのに半角全角あること自体おかしいのですし。


 ということで、私的に火種を投下するとすれば、「空白を入れる入れないの論議自体ナンセンス。半角全角があることがバッドノウハウ」ですね。つまり、こんな未成熟なコンピュータ上のことなんだから、入れたきゃ入れればいいし、入れたくなければ入れるなということです。