正直「またやってしまった」感が強い

 正直にいいます。


 ここ数日の私の記事に対するコメントの数やトラックバック、ブックマークに対して、私はびびってます。こんなことを書くのはなんか卑怯くさいですが、ホント、ここのところなかったびびりですので、書かずにはいられません。


 ご覧のとおり、この日記はしばらく更新していませんでした。その間、よそのサイトでまったく毛色の違うことを書いていました。

 そして、なんの気なしに、そう、気まぐれに近い感覚で記事を書いたら今の状態になりました。後になって正直、「まずったなぁ」と思いました。どうやったら自分がびびる状況になるのかという感覚がなくなっていたいたのですね。


 でも、幸いにして、このおかげで「図らずも論争に巻き込まれた人」の気持ちが少しわかりました。恐らくここをご覧の方は「お前が論争をふっかけたんだろ」と思うかもしれませんが、長らく SNS を中心としたクローズドな活動をしていた私は、つい「王様の耳はロバの耳ーっ!」のつもりで書いてしまっただけなのです。こう書くとコメントやブックマーク、トラックバックしてくださった方には大変失礼なのも承知の上です。すいません。

 私は、仕組みがわかっているほうの人間なので、どうにかコメントに返事を書いたりすることができましたが、もしこれがここ数日私が言っている「仕組み弱者」という人であったら、相当な恐怖でしょう。何の気なしに「無断リンクはお断りです」のように書いている仕組み弱者のサイトで論争が起こった日には……。


 ということで、このエントリで言いたいのは、「やっぱり予期しない論争は怖かった」

続・無断リンクの話

 思った以上に反響があって驚いているのですが、「嫌がらせのつもりでやっているわけではない」なら嫌がっていてもやってもいいのかと思います。別にことを荒立てたいわけではなく、こちらが下手に出て「すいません、無断リンクをやめて貰えませんか?」とか「ディープリンクはやめて貰えませんか?」と言っているのに、自分の行為の正当性を論じるためにお説教がましいことを言う必要がどこにあるのでしょうか?


 それから、上手くいえないんだけど、ただ単に仕組み上「できる」ってことが、イコール「やっていい」だと思っている人もいると思う。たとえば、Flash が動いて10秒後の状態にはリンクできないじゃないですか、仕組み的に。これに対して「できるようにしないのはおかしい」って言うのかな? 言わないよね。だから、Web サイトが死ぬほどでかい1つのHTMLでなりたっているとしたら、たぶんリンクなんてされないだろうし、「中ほどにある記事に特定的にリンクできないのはおかしい」なんて説教し始める人もあまりいないと思う。


 Web がこれだけ広がるにつれて、著作権のこれからのあり方が議論されてきています。それなら逆のことも必要だと思うのです。つまり、「仕組み弱者」にどう優しくしてあげられるか、です。そりゃあ、私も、バンバンリンクできればいいと思います。でも、「あるべき姿」を押し付けるのって言うのは、たとえば自動車を運転する人は全員、自分でオイル交換できるようになれというのに近いんじゃないかと思うのです。そんなのムリです。だとすると専門化が適切に(そして親切に)サポートするしかありません。しかし、昨今の無断リンク問題では、多くの場合、無断リンクOK派がえてして専門家(でないにしても「仕組み強者」)なのに「上」にいるかのようです。


 それで、このエントリで結局何が言いたいのかというと「優しくしてあげて」ということです。無断リンクOK派の人でも優しい人はたくさんいると思います。でも、ちょっと「優しくない」のを最近見すぎてしまったために、こんなことを書いてしまいました。




 まぁ、そういう人ってたいてい「内弁慶」ならぬ「Web弁慶」なんですけどね。

「そもそも」論、「べき」論

 私も結構「そもそも〜は」とか、「〜あるべき」ということが多いのですが、しかしながらそんなのは無駄だと思うことも最近多くなってきました。たとえば、「ケツ毛バーガー事件」があっても私のまわりで mixi やめた人なんていませんし、アクセスを控えた人もいません。しかし、私がこの人がどうだという気はありません。

 啓蒙はいいことですが、「そんな mixi の使い方間違ってる」とか言うことって誰ができるでしょうか? それは利用規約に反しているならば言ってしかるべきでしょう。しかし、そうではないことに関して「これは間違った使い方だ」とか「これは正しい」なんて言えるでしょうか? たとえば「ケツ毛バーガー事件が起こったサイトを使い続けるなんて間違っている」なんて言えるでしょうか? それはあくまで主観の問題ではないでしょうか?

 無断リンクの問題もそうだと思うのです。私も Web にかかわる仕事をしています。Web の成り立ちも理解しているつもりですし、できれば自由にリンクしてこそしかるべきものだと思います(私もかつては大手を振って「無断リンク禁止反対」と言っていました)。しかし、Web ページの作者すべてが Web のことをしっかりと理解しているわけではない現状では、やっぱり無理です。たとえば、その1ページだけでは誤解を与えてしまうようなページを作っていたらどうでしょうか? Web とは無断リンクされてしかるべきものとしっかりと留意している人ならばこのようなことが起こらないように気をつけるでしょう。しかし、そうでない人ならばおうおうにしてありえます。そして、そのまま大量にページを作ってしまい、今更後に引けないというようなことがあるでしょう。ならば、啓蒙だけにしておいて、「何が無断リンク禁止だうわはははwww」なんて言ってリンクしちゃうなんてことはやめたほうがいいと思うのです。

 もちろん、無断リンク禁止だからリンクしてはいけないなんて法律はありませんが、嫌がることをわざわざすることもないとは思いませんか?

高木浩光氏は何様のつもりなのか

高木浩光@自宅の日記 - 第1回「リンクポリシー」大賞 受賞者決定

 別にいいんだけど、「正解」とか「正しい」とか、そんなん誰が決めてるわけ? リンクポリシーの話題が最近多いけど、やってくれるなというならやらなきゃいいでしょ。それをとやかく御託を並べてどうにかこうにかリンクしてやろうなんて思うのはどうかと思う。
 自分んちに向かって変な道がつけられたどう思うよ? それで「あんたんちの土地じゃないし、どんな道つけようが勝手だろ」とか言われるみたいなもんだぜ?


 デフォルト「リンクOK」でいいけどさ、ダメだっていうなら、ダメでいいし、それが間違いなんて誰もいえないでしょ。言いたいなら法律作れよ。

自分の進む道

うちの会社って実は若人ばっかりである。

そして今、わしが常駐してる会社には、結構年がいってる人がいらっしゃる。

会社の規模こそ違うが、やってることにあまり違いはない。



それで打ち合わせとかすると、たまに、おぐしに白いものがいっぱい見えるような、どうみてもベテラン層の人がまざったりする。そして、わしと同じように仕様書をべらべらめぐって、同じようにロジックの討論をする。


そういう人を実際に見るようになってわしは「なんかちがうなー」って思うんですよ。
自分はこういうふうになりたいわけじゃないって。

で、そう実感するようになってからというもの、あまり最新の技術とか、そういうのに貪欲になれなくなってしまった。

結局何がやりたいかっていうと、作りたいんじゃなくて、作ったものが欲しいんだよね。