私は何故Javaに至ったか その1

 今、私はJava野郎だ。何か開発するときに一番最初に候補に挙げるのはJavaだし。もちろん、何でもかんでもJavaで作ろうなんてアホなことはしないが。
 わしは、年齢の割りにオブジェクト指向に触れたのは早いほうだったと思う。
 小学2年からコンピュータプログラミングをやっている私だが、多くのパソコン少年ほど恵まれた環境ではなかった。何せ、中学校までほぼMSXオンリーだったのだから。そんな私には、中学を卒業するまでは行番号付のBASIC以外の選択肢はなかった。
 高専に入学し、かねてより行番号付BASICのプログラムリストが複雑化することに悩んでいた私に最初の福音がもたらされた。構造化プログラミングすなわち、Quick Basicとの出会いである。実は学科でのプログラミング言語C言語だったのだが、1年で習う授業レベルの内容は3日で習得したものの、ゲームなどの高尚なプログラミングを行おうとして一度挫折している。なので、しばらく学校の電算室に篭り、狂ったようにQuick Basicでプログラミングをし続けたものであった。あまりにも熱中するあまり、電算室利用の制度を変更させ開放時間の延長をさせたぐらいである。
 しばらくして、私の両親は私がほんとうにコンピュータをいじるのが好きだということに納得し、1台のPCを買ってくれた。忘れもしない、PC-9821Ce Model2である。開発言語は、親父の会社でほぼ放置状態になっていた名作「Borland Turbo C」を入手してインストールした。そこから私のC言語再入門が始まった。今度は手元にPCがあるせいか、挫折することなくC Wizard街道をひた走ることができた。
 そしてまたある日、珍しくお小遣いに余裕が出たのでTurbo C++ 4.0Jを購入した。それが私のオブジェクト指向プログラミングとの出会いである。まだ、C++の仕様がAT&T Releaseと呼ばれていたころのものだ。なんとなくCはC++に進化するのだろうなと漠然と思っていた私は、またしゃにむにC++を学んだ。今思うとアホらしいクラスを量産したものだ。それもそうだろう。その当時はデザインパターンなんて言葉は耳にしなかったし、良いお手本となるものも少なかった(情報処理の先生ですらC++を知らなかったし)。
 そして私は、コンピュータプログラミングのことだけならすばらしい学生ということで学校を卒業することができた。

<つづく>

※今日から、一人称に「わし」を使うのをやめようかと思う。