プチ文盲

 まずネタ

2006-04-25

 激しく同意。それとともに「考える」人も少ない今日この頃。記憶の反芻とひらめきだけで熟慮がない、思いつくまで粘らない(または思いつくように自分の脳ミソを誘導できない)人が多いね。

 ということで最近の私の口癖が「読めよ」「考えろよなー」。


 しかし、この「文盲」という表現は言いえて妙だね。この種の人はたとえば Web ページに目立つ色の大きめのサイズのフォントで何かを告知しても華麗にスルーするんだよね。まるで字が読めないようにね。


 私は、恐らくこれは読書の質から来てるとぼやっと思ってます。別に統計はとってませんが。プチ文盲者はマンガを読むか、雑誌をそぞろ見るだけの人が多いような気がします。だから、口語は読めるし、書ける。


 そして私はこういう人たちって案外「右脳」な人だと思います。つまり、感情・感覚先行で、理路整然とできないのじゃないかと。



 つまり何が言いたいかといいますと、かつて妄信的とも言えるほどはやった「右脳トレーニング」。アレってほんとに良いの? ということです。


 さらに言えば、最近はやっている「頭をやわらかくする」系のトレーニング。これを妄信的にやる時点で頭が固いんじゃないの? と思うし、これをすることによる利点ばかりがクローズアップされて、欠点のことを考える人すらいない。

 これはかつて「カロリーダイエット」を妄信的に世の中がもてはやしたのに似ていないでしょうか? それに鈴木その子が立ち向かうなんてTVドラマが昨日放映されていましたが。



 それで、結論なのですが、プチ文盲なんかにならないためにも、やはり「正しく疑う」というのが必要だと思います。これは疑心暗鬼になるということではなく、「なぜそうなっているのか」「どうして○○ではだめなのか」ということを常に思うということです。豊かな脳の発達には「なぜ」「どうして」が必須だと私は思っています。


 エジソンの幼少期のあだ名は「なぜなぜぼうや」でしたしね。