Seasar Projectがエキサイティングな訳

 私にとって、Seasar Projectはかつてなくエキサイティングだ。かなり知られるようになってきたとは言え、他のプロダクトに比べるとまだマイナー感の残るSeasarを私はどうして知りえたのか、今では思い出せない(けど、それほど昔でもないな)。 ……と書いた瞬間に思い出した。むいみこむで取り上げていたので知ったのだった。それで、試してみて今までOOPに感じていた「違和感」をDIという考え方が取り払ってくれたことに感激し、私はその機会を与えてくれたSeasarの熱烈なファンになった。
 Seasarが私を魅了したのは、つくづく「身の丈」であるからである。けん引役のid:higayasuoさんやid:habuakihiroさんはエクストラ級の方で、たとえば技術的に見ると私など及びもしないが、その思想は私から見て確かに「現場志向」なのだ。しかも日本の。Seasarに出会ったのは、ちょうどEJBを使うプロジェクトに打ちひしがれ、そのフラストレーションを発散するために調査していたHibernateXML地獄に突き落とされていたころである。「やっぱJava陣営は理想ばっかり気にしていやがる」と思っていたときにSeasarとであったのだ。
 実は、私は「理想」は嫌いではない。なので、Javaの新しいソリューションが登場したとき「美しいからいいね」なんて評価してしまいがちだ。そんな私が「使える」とひさびさに評価したのがSeasarだったのだ。しかも、機能美という点から見れば美しくもある。
 で、何故この時期にこんな話をするかというと、Goyaがめでたく誕生したからだ。設計手法をProjectのプロダクトのひとつのようにリリースするというのも現場で使いたい私にとっては非常にエキサイティングな流れである。Goyaについては「http://d.hatena.ne.jp/habuakihiro/20050705#1120560197」を参照されたい。

 ところで、Goyaの「y」って「yield」じゃだめですかね? 「すてき」と言い切るところもまたすてきだと思いますが :-)