なぜExcelの仕様書・設計書が嫌いなのか その2

 前回は、○○がExcelではできない(しにくい)から嫌なんだというような切り口で論じた。では、そもそもわし的に理想のドキュメントとはどんなものなのかということを論じてみたい。
 ドキュメントに求めるものは、読みやすいこと、検索性がよいこと、更新しやすいことである。読みやすいことというのは、もちろんわかりやすいことという条件も含まれる。

 まず読みやすさとは何か。わしは、これは読んでいて疲れないということと同義だと思っている。読んでいて疲れるドキュメントは、集中して読めないし、その分、見落としや誤解が多くなる。

 最近は、若手作家の活躍がめざましい。活字離れが進む中においても、彼らはヒットを飛ばしている。しかし、そのヒットは何も作家の力量にのみ起因するものではない。意外と知られていない重要なファクターにフォントがある。元、某大手印刷会社系の会社にいたわしは、その某大手印刷会社での研修中にフォントが文庫本などの売れ行きにかかわることを聞いた。フォントがよくないと読者が離れてしまうのだ。そのため、その某大手印刷会社では独自の読みやすいフォントを開発したという。

 さておき、これはドキュメントに関してもいえる。文字の大きさが8〜12ポイントであるとき日本語の文字として読みやすいと感じるフォントは、ゴシックより明朝である。これはわしの主観ではなく、文字を扱う業界などでは通説だそうだ。逆にそれ以上のポイントでは、明朝よりゴシックが読みやすいと感じるそうだ。ちなみに1ポイントは72分の1インチ。約0.35mmだ。そして、文章として読みやすい文字の大きさは最小で10ポイントほどといわれている。つまり、これより小さい文字で作られた仕様書は読むのに疲れるということだ。

 12ポイント以下では、ゴシック体は強調文字として役に立つ。このサイズでの明朝体のボールドははっきりいって目立ちにくい(すくなくともMS明朝は)。明朝体のボールドを使うよりは断然ゴシックのほうが目立つのである。

 次に文体だ。ここでいう文体は、言葉遣いもそうだが文の配置も指している。まず、言葉遣いについてだが、当たり前だが文末表現が敬体のものと常体のものが混じっているのは論外だ。なぜならば前にも述べたように人間は調子を狂わされると疲れるからだ。次にインデントの深さも一定であるべきである。さらに文章は、一貫して、部・章・節のように定めたアウトラインどおりに構成するべきだ。なぜならば、それによって各所の文章の重みが一目瞭然で推し量ることができるからだ。説明のために表や図を用いるのもよいが、必ず凡例をつけるのを忘れてはならない。その表記法を作者以外の人が知っているとは限らないからだ(ただし、UMLフローチャートのような図には必要ないだろうが、色付けに特別な意味を持たせているのならば、それを凡例として書くべきである)。また、図や表で示したとしても、それと同等のことを説明する文章を付け加えるのが望ましいと思う。なぜならば、図や表は作成時「あ〜っ、これ以上文が伸びたらおさまらねぇや」という感情が入り、説明がおざなりになることがあるからだ。また、初版ではそうでなくとも、同様の理由で仕様が追加になったときに一番メンテナンスしにくいのが図表である。なので、レイアウトにとらわれないスペースに文章として残す意義は大きいはずだ。

とここまで書いて結構長くなったので、検索性については次回書こうと思う。