私がSeasarについていくわけ

 私は、何故か(ってことでもないが)アンチMicrosoftだと思われるのだが、ぜんぜんそんなことない。ビル・ゲイツは、私が尊敬する人の一人だし。ということで、私の存在そのものがアンチテーゼであるわけでもないと思っているのだが、RubyなりSeasarなり「その当時はどマイナー」であるものに飛びつく傾向にあるっぽい(少なくともここ数年は)。
 それは何故か?
 「http://d.hatena.ne.jp/habuakihiro/20051228」で、はぶさんがコメントで書いていらっしゃるように「保守」が理由に挙がってくる。私は若輩ながらベンダー製のパッケージ製品にだまされた(マニュアルのとおりに動かない等)経験は何度もある。例えば、かつて私はDelphi使いであったが、VCLメモリリークしてるなんてこともあった。そういった「単なるユーザ」ではどうしようもない問題でも、オープンソースならば自分で対処のしようもある。
 私は、すでにいくつかの使用していたオープンソースプロダクトが作者によって「放置」された経験を持っている。だからこそ、自分でもソースが読めなければならないと思っているし、まだビッグネームになるまえの段階から付き合っていればなんとか読める。であるからこそ、RubySeasarなのだ。


 ビッグネームにつけばそもそも「放置」なんてされないと思うのは浅はかである。たとえば、Sambaのお家騒動や、XFree86のライセンス事件は記憶に新しい。ビッグネームにはビッグネームなればこその問題があるし、コミッタがかたくなであればバグもろくに治らないのである(GentooのXフォントサーバにボールド体対応パッチが当てられなかったのはコミッタが難色を示したかららしい。それで私はVineに逃げた)。


 結局は、大なり小なり、オープンソースはown riskってことだ。